水神様


篠束の人の命をつないできた源の水

  篠束神社は豊川右岸の河岸段丘の上にあり、往古は段丘の下を豊川の本流が流れていました。

  流路が現在の位置に遷移した後も砥鹿神社、花井寺、菟足神社、平井、前芝と湧水地が河岸段丘のライン上に続いています。


 

 昭和30年代の豊川放水路の工事の際に発見された遺跡によって篠束では約2000年前の弥生時代中期から米作りが行われていたことが分かっています。

 篠束地区の河岸段丘の下には昭和40年代まで五つの湧水地があって洗濯や野菜の洗浄に利用されていましたが、中でも御輿(お旅所)の東側にある湧水地は「水神様」として祀られています。その湧水は南側に広がる「共同苗代」(現・海洋センター周辺)を潤し、播種された種籾は水神様の湧水をたっぷりと吸って発芽をし、秋にはお米となって篠束の人たちの命をつないできました。